2023/05/18
福島から知る「インタンジブル」
前回のブログで説明した花の元素のように、見えないところで活躍するインタンジブルなエネルギーは、いい結果ばかりを生むわけではありません。
地震(陸)、津波(海)、原発(空)の3つの方向から重なる大災害がなければ、水仙や桃の花咲く美しい里山の風景と、三陸の海の幸を求めてどれほど多くの観光客が訪れたことでしょう。すでに10数年がたった今でも、私たちは「福島」を忘れていません。
地殻の動きで地震や津波が起こるのもタンジブル(有形)とインタンジブル(無形)の関係です。深い海の底でため込まれているエネルギーをだれも見ることが出来ません。いつ動くともわかりません。見えないところに潜む力、インタンジブルの最大級の恐ろしいパワーです。その見えない力が、すべての有形物、見えるものを破壊し尽くしました。
人間の欲望と便利さゆえに開発された原子力エネルギーを見ることはできません。私たちは、その恩恵を受けつつも、危険性と隣り合わせで生きています。原子力エネルギーの破壊のおそろしさ、その一方で電力をまかなう頼もしさ、無形の力の危険性と利便性の2つの側面を、人類はどうとらえて、将来に向かうのが正しいのでしょう。人類は危険なインタンジブルパワーをつくって、自業自得の落とし穴にはまりこんでいるのです。広島、長崎、そして、フクシマ、恐ろしいインタンジブルパワーで美しい都市が壊滅されました。
2011年、福島大惨事のすぐ後、テレビで流された80歳すぎのおじいさんのインタビューをテレビで見ました。いまも忘れることができません。有形とは何か無形とは何かを悲しい出来事の中で教えられました。消えてなくなるはかない有形のものに埋まって生きている私たちが、いかに無形の力に支えられて生きているかを、知らされました。その2つを失ったおじいさんの言葉をお聞きください。
「家は流されてしまったけど、また建て直すことができる、私は頑張って建ててやる。でも家族は流されてしまった、もう、戻らない」 淡々と語る姿からは心意気と同時に言葉にならない悲しみが伝わってきました。おじいさんの何気ない言葉ですが、私は、おじいさんの悲しみの中に2つの価値の違いを学びました。おじいさんの語るように、確かに有形の家は、いつの日か、手に入れることが出来るでしょう。だけど、その中にあった、家族の団らん、いたわり、励まし、喜びといった無形の価値を、おじいさんは取り戻すことが出来ません。
家屋(HOUSE)はタンジブルであり、家族(HOME)の愛情や絆はインタンジブルです。両方を失ってしまったおじいさんは悲しみを乗り越えられたでしょうか。福島の悲劇から私たちは見えないものの価値の良い面も、恐ろしい面も学びました。
見えない力を意識せず、見ようともせず、無邪気に生活をしている私たちは、たとえ小さいと思える見えないものでも、それらが力をもっていることに気づく訓練をしておいたほうが賢明であるといえます。そうすることによって人類、すこしは謙虚になるでしょう。
福島からは様々な見えない力の強さ、怖さを教わりました。私たちの代わりとなって、それを経験し、犠牲になった人々のことを思い出すと胸が詰まります。
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