信頼はあなたから発して、あなたに帰る

信用と違って信頼関係は人間の情動、感情や、欲望によって結ばれ、いつまでという期限が設定されるわけでなく、契約が交わされるわけでなく、約束も成り立たず、条件も存在しないという、インタンジブルな関係です。信用はタンジブルですから、真逆です。関係がこじれるか、相手が存在しなくなるまで続きますが、関係が続いているときはまるで永遠だと錯覚している人が案外多いのです。そこに問題がひそんでいます。

親子、兄弟、姉妹、友人、上司と部下、同僚、医師と患者、先生と生徒など、身近な関係ほど深く、濃く結ばれます。関係が築かれ続行している間は、幸せ、安心、満足、夢など、ポジティブな気持ちに満ち溢れています。読んで字のごとく、信じて、頼るのですから、それが不可能になったり、ひとたび崩れると心身ともに受けるダメージは相当なものです。他人なら割り切りや、忘れることもありますが、濃い関係は、そうはいきません。

しかも、自分が関係を壊すかもしれないし、相手が壊すかもしれません。一方だけが痛手を負う場合もあれば、双方が負うこともあります。

失望、絶交、別離、解消、破断、となり、人によっては再起不能に陥ります。オペラ「オセロ」のように殺人、自殺、何でも起こりえます。信用関係のように、第三者機関や、公的機関が介入できないので、もろ自分に跳ね返り、真っ黒こげになります。熱い関係なので理性も出番を失います。

甘え、嫉妬心、猜疑心、名誉欲、競争心、悪意、恨みからこじれた感情は修復するのに並たいていの努力ではすみません。まして、お金が絡む関係は厄介な問題を引き起こします。石川達三の「骨肉の倫理」の如くです。普段は、何事も起こらず、仲良くしていた理想的な家族でも「遺産相続」ともなれば「遺産争族」と変わります。

部外者が何かをしてあげられるわけでなく、理解や同情を得られたり、相談に乗ってもらえても、問題解決とはいきません。時がたつのを待つか、ずたずたに傷ついても修復するまで耐えるしかありません。特効薬は旅に出るとか、趣味に打ち込む、自然や動物に癒されるとか、一人で乗り越えるしかないのです。でも、この哀しく、苦しい山を乗り越えれば、あなたはとても強くなっています。私もそうです。そして人生や人間をより冷めた目で眺めることができ、自信も付き、賢くなって、人を選び、関係がもつれないよう距離を取るようになります。

私の主人の人生哲学(ユダヤ人でナチから逃げられた一人)は人と距離を置くという言葉を飛び越えて、「無関心でいる」という言葉が返ってきました。それは、人それぞれが自分を愛し生きているのだから「そっとしておく」という意味だそうです。クールですね。

信頼関係が長く良い状態をつづけるにはどんなことが考えられるのでしょう。
信頼の上に成り立つ人間関係
〇 どんな関係にもディスタンス(距離)を持っていること
〇 どんなに熱い関係でも理性を失わないように心がける
〇 人間の心は常に移ろい、心変わりすることを知っておく(あなたも、相手も)
〇 人間の気分や心は、お天気や他人の一言にも影響されるほど変わりやすい
〇 どんな関係もいずれは消滅する
〇 人間関係の達人などいない。みんな悩んでいる。貴方だけではない

母の手紙の中の言葉
「人の心の変化は四季の変化のように順序通りに巡らない。突然の変化があったり、背信がある。それに引きずられて怒ったり、嘆いたりしては、あなたの負け!」

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信用はオフィシャルでクールな関係

英語では信用や信頼に関する単語が実に多くあります。クレジット、リライアンス、コンフィデンス、トラスト、その他をどのように使い分けできるのかを学ぶのに興味津々です。

「アメリカは多民族の集まりで、憲法や法律、お金の価値観など違う人同士が人間関係を築き、仕事をするわけですから、信じあうということは大変なことです。さらに、悪事をはたらいたり、自国で生きることが出来なかった人も多く上陸しましたから」
「なるほど、それで契約社会に発展していったわけですね」。英語の先生との会話です。

信用はたがいに立場が異なる関係の中で生まれる。相手のことを充分「知らない」という状況でリスクを見込んで関係をつくる。それを防御するために契約=紙で互いを縛ることが必要になります。信用に関しては大陸と島国の差、しかも、農耕民族の歴史と文化の中で生きてきた私たちとでは根本的に考え方に開きがあります。

「まあ、ええがな、そのへんにしとこ」というわけにはいきませんね。
時代の変遷とともに、私たちも社会人、組織の一員として存在する限り、世界共通のルールに従わなければなりません。そのためには、信用関係をオフィシャルにビジュアル化(見える形に)する以外、方法はありません。

信用は信頼と違うということを前回のブログで書きましたが、ひとことで言えば、信用は無機質的です。人間の感情や情動などは一切介入できません。気持ちがいいくらいクールな関係です。また、そういう関係でないと信用は成り立ちません。
仮にあなたが不動産契約をするとしましょう。
信用はオフィシャル
万が一、信用関係が遂行できなかったり、悪化した場合、その時もクールに、裁判所、公正取引委員会、警察、労働基準監督署など公的機関の力を借りることができ、法律、規則にのっとって処罰されることもあります。場合によっては弁護士の出番もあります。

「アメリカ人は契約が一度ゼロになっても再び関係を積み重ねることができるが、日本人は一度でも、どちらか一方が問題を起こしたり、リスクを負うと再構築はむずかしそうですね」というのが英語の先生の意見でした。日本人はフレキシブルな人種ではなく、律儀なのでしょうか。この精神は憲法改正の出来ないメンタリティに通ずるものがあります。

こんなにオフィシャルな信用関係を契約で結ぶというのに、私は印鑑について、いつも疑問を持っています。ひょいと、ひとっ走りすれば文房具屋で買える印鑑をあらゆる紙に押しまくっている日本人のおおらかさにびっくりします。登録印だって今の技術をもってすれば、複製できるのではないでしょうか。神経質で用心深い日本人であるのにハンコ文化には矛盾を感じます。保証人にハンコを付いてもらったがゆえに起こる悲劇も信用と信頼に対していかに無防備であるかを考えさせられる例だと思います。ハンコは花押(かおう)や、落款(らっかん)など美的な「しきたり」の名残でしょうか。

金融、銀行、保険、などはクレジットやトラストという英単語を使います。クレジットは過去に積み上げた責任が大きくものを言い、それがより有効に役立ちます。信用関係は蓄積された実績が土台となり、力を発揮します。これが信用のタンジブルなパワーなのです。一つの契約の完遂は他の契約とより信用関係が築きやすくなります。これは実績といえます。あなたや、あなたの会社はこれによって社会的にさらに存在感をまし、力を持つことになるでしょう。

さて、身の回りを見てもあなたは信じられない数の書類を持っているはずです。健康保険書、身分証明書、パスポート、運転免許証、印鑑証明証、住民票、戸籍謄本、卒業証明証、雇用契約書、結婚証明証、遺言書、不動産売買契約書、ローン契約、あらゆる契約書に押したハンコの回数やサインを覚えていますか?

それらの書類をちゃんと保管していますか?それも信用問題ですよ。少なくても現在進行形のものはファイルに収め、さっと取り出せるように常に「準備体制」が整っているように習慣化したいものです。

今日もおいしく夕食を頂きましたか?主食のご飯があるからこそ、納豆も、御味噌汁も、他の副菜も美味しいですね。「信用」は人生のご飯です。人生上のすべての出来事はほとんどが「信用」の上で成り立っているのです。

「信用と信頼」は似て非なるもの

あなたの横で、あるいは後ろに控えて姿の見えない影武者のように、あなたをがっちり支えてくれるインタンジブルパワー「信頼と信用」。ところが、これを間違って使えば、人生をバラ色にするはずが、世をはかなみ、生きづらくする両極端の結果をもたらす両刃の刃(やいば)です。

人間関係だけでなく、組織や企業、あるいは国家間の関係であっても、嘘をついたり、裏切ったり、だましたり、傷つけたりしないよう、私たちは一生「信用と信頼」のタイトロープの上で綱渡りをする運命です。地上に落下することなく、このパワーを上手に使いこなす方法を知っておくのは賢明です。

ところで、あなたは「信用」と「信頼」がまったく違う性質をもっていることを知っていましたか? 知らなかったとしても、あなたはそれを無意識に、上手に使い分けているのです。

この2つを分けるのは、非常に現実に沿った考え方です。「信用」は「金銭」や「雇用」「保険」その他、あらゆることにおいて契約書(紙)などが介在し、その契約通り双方が期限内で実行するオフィシャルなもの。よりクールで、タンジブルで、左脳的、誠意と責任をもって実行することで「信」が成り立ちます万一、「信」が実行されなければ、公的機関で責任を取らせることもできます。

いっぽう「信頼」は、情や愛、絆、仲間意識など、カタチの見えない思いが介在する人間の心と心の関係で、それが崩壊したり、離ればなれになるまで期限は設けられていません。よりホットな右脳的でインタンジブルな関係だと思ってください。「信頼」関係が崩壊した場合、自己処理になります。誰も何も助けることはできません。

「信用」は信じて、用いる。「信頼」は信じて頼る、読んで字のごとしです。
「信用金庫」とは言いますが「信頼金庫」とは言いませんね。いっぽう、人間関係においては、「「信用関係」より「信頼関係」と言ったほうがぴったりくるでしょう?

神との関係は、信用、信頼?

私は、ユダヤ人の夫と結婚したのでユダヤ教に改宗しようと思い、世界的に有名なラビ(宗教的指導者)のマービン・トケイヤー師に相談に行きました。

「あなたは改宗と簡単に言いますが、あなたが選んだ神と生涯契約するのですよ」と諭されました。私の改宗の動機は「夫がユダヤ教であるので」と、とても甘いものでした。
自分の意志で自分の信仰=神との契約を選び、生涯という契約期間が設定され、契約という神との間でかわす厳しい掟があり、まつりごとの歴史や意味を学習して、それを実行に移すこのように、西洋においては、神とのかかわりは「信用」の問題なのです。

これに対し、私たち日本人にとって宗教は生活のなかにとけこんだ、慣習的、文化的な存在になっています。
思い返せば、カトリックの学校で教育をうけ、神前結婚を執り行い、気が向いたときに般若心経を写経し、お寺でお葬式を行なうなど、勝手気ままに、その時の状況に合わせてよろずの神に頼っています。日本人にとって、神仏(かみほとけ)とは「信頼」の関係です。そこに契約などは存在しません。

ところで、私たちはどれほど多くの人々やコトやモノと信用や信頼関係で結ばれているのでしょう?親子、兄弟、夫婦、恋人、隣人、友人、仲間。職場では上司、同僚、取引先、株主、顧客、そして先生、医師、世話になるすべての人。結んでは消え、消えては結ぶことを繰り返しているのですから一生の間には膨大な数になります。

時代の変化、世の中のスピード化、快適化によって、「信用と信頼」もどんどん姿が変わります。たとえば、顔の見えないコミュニケーション、スマホや、パソコンなどは、面と向かって会話しているわけではありません。ビットコインなどネットで「売った、買った」とお金が動くのですから怖いような現実です。「信用と信頼」の問題もAIの時代になり、見えないものを信じるには、見えないゆえに覚悟がいります。時代の流れに乗るのは大仕事です。老齢化社会にはチャレンジそのものです。
ハチ公1
忠犬ハチ公のご主人への「信頼の情」に日本人が泣いたのは過去の話でしょうか。
時代が変わっても、渋谷の街がどんなに様変わりしても、ハチ公の銅像が取り壊されないように祈る気持ちです。

次回は「信頼」を集中的に説明したいと思います。

プロフィール

山川 和子

Author:山川 和子
世界的ブランド「フェイラー」創業者 山川和子が起業家になりたいあなたへ「私の経験」から語れることをお伝えしましょう。

ビジネス成功へのキーワード「インタンジブル」(無形の力)を使って理論的、かつ実践的に学び、「成熟した人格」「感動的な人生を送るための手腕」「文化的な富裕」を同時に身に着けられることでしょう。

  <独ホーエンベルク>
YSH山川高齢者施設財団
「住みよい街」ホーエンベルク財団

日独で執筆&講演活動中 

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