一寸法師のダイアモンド

一寸法師は小さなダイアモンドを持っていました。あまりに小さいので、持っていることも忘れ、価値も知らず、鑑定に出したこともありませんでした。ダイアモンドはCarat(カラット=重さ)、Cut(カット=輝き)、Color(カラー=色)、Clarity(クラリティ―=透明度)の4Cで評価されるのですが、お椀の底に眠っていたので、M&Aのその日までとりだして眺めたこともありませんでした。

小さいダイアはキラキラ輝き、透明度は高く、粒が大きなダイアモンドより、はるかに貴重な価値があったのです。M&Aで学んだことは、企業はダイアモンドと同じで、単にその大きさだけで価値は決められないということでした。
さて、企業の価値とはいったい何か。手に取ることのできるダイアモンド自体はタンジブル「有形資産」そのもの。感動、喜び、満足を与えるその光、輝きこそがインタンジブル「無形資産」で、これがしっかりしていなければ買う意味がありません。
企業における無形の価値
経営は理論や知識だけですむものではありません。人間に仕事をしてもらい、人間に物を売るのです。心を動かすのにトップにビジョンがなければ羅針盤のない船を動かすようなもの。徹頭徹尾、ビジョンを企業内で共有していること、それがあるから全員に方向性が見え、創造性が発揮でき、オリジナリティーが生みだせ、職場文化も醸成し、自信をもって市場に漕ぎ出せるのです。無形の価値は見えないところで全部つながっています。花の元素のようにどれも大切です。(参照、花が美しいのには訳がある)

経営には左脳(理)と右脳(情)の両方が必要です。もし、あなたが起業するならば、1人の人間がすべてに秀でているとは限らず、むしろそんなスーパーマンはいないと心得ておいたほうがが良いでしょう。自分の不得意な分野を任せる人材を確保し、活躍してもらう必要があります。まことにうまくできたカップルで、主人が左脳、私は完全に右脳人間。世の中には本当に素晴らしい特技や才能を持った人が多いと知りました。その人たちに助けられ、調子に乗ってお椀をひっくり返しそうになると主人やみんなが元に戻してくれました。

ああ、経営は楽しい!みんなと能力を出し合い、結び付き、ビジョンをひとつにし、可能性に向かって舟を漕ぐのです。資金がたんまりあっても、ビジョンがなければ無人島に漂着し、いつ来るともわからない迎えの舟を延々と待つことになる。ビジョンはトップだけが持っていてもだめ。全員が持たなければパワーになりません。「何を価値あるものとして仕事をするのか」「どのような価値をお客さまに届けるのか」1日1回、10秒でいいから、みんなで反復することを忘れないでください。

M&Aを決断したのがお正月明けの2月。デューディリジェンスが無事に終わり、秋の深まった10月には新社長を迎えることができたのです。これは、あまり例のない猛スピードで、周囲から驚かれました。
「この価値(ビジョン)を掲げ、あの島を目指す(オブジェクティブ)」がしっかりしていれば、島に着くまでの航海(プロセス)は、凪いでも、揺れても怖がらないで!どんな船もお天気に左右されるし、なにが起こるかもしれません。人生も同じではありませんか?それを乗り越えるのが経営です。

企業を目指す人、いま実際に現場で活躍している人も「一寸法師のお椀の舟だって島に着いた」を励みにしてください。

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一寸法師とガリバー

はて、さて、お花やフクシマを例にとりタンジブルインタンジブルという言葉を説明してきましたが、耳慣れない人も多いと思います。じつはこの言葉の出どころは意外なところにあります。なんと財務用語でM&A(企業売買)で使われる専門用語なのです。有形資産はタンジブルアセット、無形資産をインタンジブルアセットと言います。

1970年、50年近く前に夫と2人で立ち上げた会社は事業継承の有効手段としてM&A にかけ売却することにしました。M&Aは私にとって、社長業でいちばん大きな仕事と経験でした。このむずかしい最後の仕事を無事に終えた時、来し方で培ったインタンジブル力の大きさに我ながらびっくりしました。見えないインタンジブル資産がタンジブル資産を上まわる価値評価として値段がつけられました。

2004年、M&Aのネゴシエーションのテーブルで私は、はっと気づいたのでした。「会社が両面の価値で査定されるのなら、人間も、物だって同じではないか、見えるものだけが評価のすべてではない」と哲学的なひらめきを得ました。それから10年、自分なりにこの気付きを形にするためにあらゆる勉強を始めました。この言葉は財務用語としてのみならず、もっと汎用するべきだ、とても深いものの見方ができるではないかと!

私たちの会社は、買い手であるガリバーのような大手総合商社からすれば、一寸法師のように小さな典型的な中小企業だったのですが、独自の社風と文化、お椀の舟に入らないぐらい大きなビジョンを掲げ、怖いもの知らず、笹の櫂でスイスイ大海に向かって漕ぎ出していました。それまで日本の市場になかった唯一無二の商品は個性的で、そのユニークで独創的な経営スタイルは、業界でも有名でした。
一寸法師
ご存じのようにM&Aでは、デューディリジェンス(精査)を終え、有形(タンジブル)と無形(インタンジブル)の資産の評価を下しますが、1980年代はまだ有形の資産が価値基準で重要視され、目に見えるデータとして重要な物差しでした。90年代に入ってどんどん基準が変わってきました。世の中は、ブランドや知的財産が未来を牽引すると考えられるようになりました。まさに、見えない力が会社を牽引していく「パラダイムシフト」の時代に入ったのです。

企業継承のあと、経営の「やりかた」が変わっても、企業の「ありかた」は、変えられません。まさしくそれは、ビジョンそのものだからです。ビジョンのない企業は魂のない人形のようなものです。残念ながら、どんな大手でも「あなたの会社のビジョンは何ですか」と聞いてもあやふやな答えしか返ってこないケースがほとんどです。たとえビジョンがあっても、共有できていないか、反復しないために忘れ去られています。

人間は見えないものには無関心ですが、誰もが大好きな見えるもののトップはおカネです。どうですか? あなたにノーとは言わせません。悲劇の90%がおカネで引き起こされても、おカネは偉大な力で人を引き付け、人間のエゴに火を付けます。

起業においても、タンジブルなものに流され、強迫観念のように「より多く」「もっと、もっと、さらにもっと」を求めて躍起になり、その結果、ビジョンを失っている企業が多く見られます。その姿はNo matter how(どんな手を使っても)と言ってもいいくらいあさましものです。
インタンジブルな価値を大切にできれば、「おカネだけが社会や人間を豊かにする」などとは、とうてい言えなくなるでしょう。

おカネを目的にして特定の場所にため込めばよどんだ水のようになります。おカネがその偉大な力を発揮するのは手段として使う時です。正しい手段で使われるおカネ以上に価値あるものはありません。「タンジブルの王者」と言っていいでしょう。

さて、一寸法師が大手総合商社を相手に、どのように、M/Aを成功裏に収めたか、何が価値として認められたか。インタンジブルの価値を、一寸法師の経験をもとに、くわしくお話ししたいと思います。

福島から知る「インタンジブル」

前回のブログで説明した花の元素のように、見えないところで活躍するインタンジブルなエネルギーは、いい結果ばかりを生むわけではありません。

地震(陸)、津波(海)、原発(空)の3つの方向から重なる大災害がなければ、水仙や桃の花咲く美しい里山の風景と、三陸の海の幸を求めてどれほど多くの観光客が訪れたことでしょう。すでに10数年がたった今でも、私たちは「福島」を忘れていません。

地殻の動きで地震や津波が起こるのもタンジブル(有形)とインタンジブル(無形)の関係です。深い海の底でため込まれているエネルギーをだれも見ることが出来ません。いつ動くともわかりません。見えないところに潜む力、インタンジブルの最大級の恐ろしいパワーです。その見えない力が、すべての有形物、見えるものを破壊し尽くしました。

人間の欲望と便利さゆえに開発された原子力エネルギーを見ることはできません。私たちは、その恩恵を受けつつも、危険性と隣り合わせで生きています。原子力エネルギーの破壊のおそろしさ、その一方で電力をまかなう頼もしさ、無形の力の危険性と利便性の2つの側面を、人類はどうとらえて、将来に向かうのが正しいのでしょう。人類は危険なインタンジブルパワーをつくって、自業自得の落とし穴にはまりこんでいるのです。広島、長崎、そして、フクシマ、恐ろしいインタンジブルパワーで美しい都市が壊滅されました。

2011年、福島大惨事のすぐ後、テレビで流された80歳すぎのおじいさんのインタビューをテレビで見ました。いまも忘れることができません。有形とは何か無形とは何かを悲しい出来事の中で教えられました。消えてなくなるはかない有形のものに埋まって生きている私たちが、いかに無形の力に支えられて生きているかを、知らされました。その2つを失ったおじいさんの言葉をお聞きください。

「家は流されてしまったけど、また建て直すことができる、私は頑張って建ててやる。でも家族は流されてしまった、もう、戻らない」 淡々と語る姿からは心意気と同時に言葉にならない悲しみが伝わってきました。おじいさんの何気ない言葉ですが、私は、おじいさんの悲しみの中に2つの価値の違いを学びました。おじいさんの語るように、確かに有形の家は、いつの日か、手に入れることが出来るでしょう。だけど、その中にあった、家族の団らん、いたわり、励まし、喜びといった無形の価値を、おじいさんは取り戻すことが出来ません。
老人と海
家屋(HOUSE)はタンジブルであり、家族(HOME)の愛情や絆はインタンジブルです。両方を失ってしまったおじいさんは悲しみを乗り越えられたでしょうか。福島の悲劇から私たちは見えないものの価値の良い面も、恐ろしい面も学びました。

見えない力を意識せず、見ようともせず、無邪気に生活をしている私たちは、たとえ小さいと思える見えないものでも、それらが力をもっていることに気づく訓練をしておいたほうが賢明であるといえます。そうすることによって人類、すこしは謙虚になるでしょう。

福島からは様々な見えない力の強さ、怖さを教わりました。私たちの代わりとなって、それを経験し、犠牲になった人々のことを思い出すと胸が詰まります。

花が美しいのには「わけ」がある

ブログによく出てくる「タンジブル」「インタンジブル」という言葉について、このあたりで説明をしたいと思います。

花屋さんに行くと、たくさんの花が美しいので迷ってしまい、最後は店員さんに「あなたにおまかせするわ」と言ってしまいます。セロファンに包まれ、リボンをかけられ出来上がった花束にお代金を支払い、配送を手配します。

あなたは花の一部分を見てその美しさを愛でていますが、スパッと切られた茎の下を覗いたことがありますか。泥のついた髭、ひん曲がった根っこ、中には虫もくっついていたりして、どろどろの花の正体があらわに見えます。汚い土中で水分や養分を吸収しているのですが、まさにここが花の「仕事場」なのです。24時間働きっぱなし。本来ならば、この目に見えない地下の労働の対価にお支払いしなければなりません。

花は定位置から動けないし、言葉も話さないのに、蜂や蝶々、風とコラボして子孫を増やしています。何としたたかな生き物でしょう。花の凄さを知ったら、「花は美しい」だけではすみません。「花はプロフェッショナル」「花は無限の力を秘めている」「花の頭脳は私たち以上」と言わねばなりません。 無形の力花

さらに、見えないところで、花はたくさんの仕入れ先から生きるための元素を買い付けています。カリウム、マグネシウム、リン、鉄、銅、水素、ヨード、亜鉛、刃物をつくるのに欠かせないモリブデン、原発で一躍名前が広まったセシウム、マンガン、など35、6種の元素がなければ、葉っぱは緑、花は、赤、黄色、白、になって咲かないからです。

ちょうど自分に必要とするだけの買い付け量を知っています。人間のように欲を出して、ため込もうとしません。黙々と作業をし、見えない作業場からやっと地上に出るときの姿はわずか数ミリ。その小さな姿をたくましく成長させるために厳しい自然現象にも耐えます。このプロセスを知らず、美しく、見える部分=タンジブだけにお金を支払いますが、本来なら、私としては見えない労働力=インタンジブルに支払ってあげたい気持ちでいっぱいなのです。あなたはどう思いますか?

物も人間も、見える部分(タンジブル)だけで成り立っているのではありません。見えない部分(インタンジブル)にこそ、その物の、実体があります。見える部分は、見えない部分に潜むエネルギーで支えられている結果です。見える部分だけで、定義づけず、決めつけず、評価せず、見えない部分、隠れている姿を知ったうえで評価を下したいものです。

姿や形になって表れた見えるもの(結果)は見えないパワー(原因)が存在しインタンジブルは、決して表に出ることのない蔭の実力者であることを知りました。

英国にジェームズ・アレン(1864-1912)という謎めいた思想家がいました。彼の著作は旧約聖書に次ぐベストセラーと言われています。アレンは、すべての「結果には原因がある」という法則を説いています。西洋にも仏教に似通った思想があるのだなと思います。つまり、この考え方は普遍的なのかもしれません。

花を一例として見えない力の凄さを説明しましたが、表面だけを見るのではなく、より深く見て、本質に迫り、なぜ見える部分がそうあるのかの原因を知ることが大切です。想像力を働かせ、好奇心や探求心、疑問をもって問うことであなた自身も深まったものの見方が出来るようになり、成熟した人格を養うことができるでしょう。
次回は怖いエネルギーについても考えてみたいと思います。

「まあいいか」いや、「いかん」

ゴールデンウィークは、楽しい計画が予定通り実行されましたか? ふるさとに帰られたかたは、家族やご両親も、久しぶりに会えて喜ばれたことでしょう。ハワイは遠く、家族旅行には高くつくかもしれませんが、何が起こるかわからない世の中ですから、思ったら吉日ですね。

それとも、あなたは海外旅行や帰郷など、今年は断念しましたか? 家にいて静かに過ごしたいと思ったのなら、それは一つの選択肢ですから、帯は短いのです。でも、「まあ、いいか、今年はやめ」「そのうち行くだろう、会うだろう」と、しようと思ったことを実行に移さなかった場合は、帯は長いといえます。

さて、一度、錯信帯の長さをチェックしてみませんか? 合計した数字が少ないほど帯は短く、多いほど長いのです。錯信帯の長さは、自分の意志だけでそうなったのでなく、過去の経験、体験、教育、環境やトラウマ、苦い思いなどが邪魔したために、そのような癖がついたのも原因になります。まず採点をし、なぜ帯が長いか、ゆっくり、原因を探ってみてはどうですか? 帯を短くするためには、それがいちばんの近道です。
錯信帯

「錯信帯」セルフチェック

〇失敗を恐れ、迷い、先延ばしにする        1 2 3 4 5
〇過去を嘆き、後悔し、昔の栄光や成功にしがみつく 1 2 3 4 5
〇思いこみや固定観念に縛られる          1 2 3 4 5
〇時間を浪費し、行動をとらない          1 2 3 4 5
〇起きてもいない未来に、迷い、不安にかられる   1 2 3 4 5
〇責任を取ることを怖がり、逃げる         1 2 3 4 5
〇思い悩み、最終的な決断を下せない        1 2 3 4 5
〇人に頼り自立できない              1 2 3 4 5
〇人の意見に振り回される             1 2 3 4 5

わたしは子供のころ、早生まれで、体も心もひ弱く、小学校では同学年の人より、1年近く幼く、その差は厳しく、同級生についていけませんでした。ぐずで、いつも泣いていて、担任の先生に嫌われ、多少いじめられていました。兄弟の中でも目立たず、いつも兄や、姉へ気をつかい、妹の言いなりにもなっていました。青い顔をしてきょろきょろ周囲に気くばりしてばかり。両親に連れられて、お祭りや映画に家族全員が行くのに、5歳ごろからひとりでお留守番をしていたのです。梃子(てこ)でも動かぬ幼い娘に両親は心を痛めていました。

お留守番・・ひとりでいると空気を読む必要もなく、誰にも気兼ねせず、自由でいられ、自分の好きな事が出来る。母が用意したおやつを食べながら、塗り絵をしたり、思いきり空想をしたり、存分に自分を解放できたからでしょう。

ところが、5年生の時にマラソン大会があり、いきなり全校で1等になり、先生も同級生もびっくり仰天。当の私はきょとんとするばかり。その後これがきっかけとなり、自信がつき、クラスメートが自分より強く、優れているという思いは消えてしまいました。兄弟の中でも同等の距離感が持て、無意識のうちに自己変革ができたのでした。これは自己評価(前回のマトリックスを参照)にもつながり自信を持つようになった証拠です。長い年月が経ってから、なぜ変わっていったのか理解できました。

努力すれば自分をかえられ、あるいは私のように偶然の出来事で自分が変わることができるのは事実です。たとえ、子供の時代でもそうなのですから、社会人なら、そのチャンスはいっぱいあります。そんなチャンスを逃してほしくありません。千載一遇のチャンスです。それをきっかけに、「自分改造プロジェクト」を始めることをおすすめします。努力をおしむことなく、まず自分を中心にして、好きなことを実行に移す習慣を身に着けたらいかがでしょうか。

「そうやなー、まあいいか。そのうち変わるだろう」はペケ、怠け者!
「来年あたりから、やってみようか」それもペケ、時間のむだ!
「齢だから、その必要ないかなー」はダブルペケ、時間がない、急げ!

プロフィール

monterivie

Author:monterivie
世界的ブランド「フェイラー」創業者 山川和子が起業家になりたいあなたへ「私の経験」から語れることをお伝えしましょう。

ビジネス成功へのキーワード「インタンジブル」(無形の力)を使って理論的、かつ実践的に学び、「成熟した人格」「感動的な人生を送るための手腕」「文化的な富裕」を同時に身に着けられることでしょう。

  <独ホーエンベルク>
YSH山川高齢者施設財団
「住みよい街」ホーエンベルク財団

日独で執筆&講演活動中 

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