立ちどまるだけで効果あり

「信用」と「信頼」を、それぞれ分けて考えるとすっきりしたでしょう。信用は義務を果たす実行力を養い、信頼について考えることは、いかに傷つかず、苦労しないですみ、よりよい人間関係を築くためのトレーニングです。

最も信頼にかかわる人間関係はむずかしく、エゴを持った人間同士が社会の中でぶつかり合いを避けて生きていくのは至難の業(わざ)です。正直、死ぬまでこの道の達人になれないのが現実です。人間は、3歳ぐらいまでは損得を計算せず生きると聞きましたが、それ以降は「何をすれば自分の欲しいものが手に入るか」「どうすれば、自分に愛情を仕向けられるか」というふうに知恵が働くそうです。それ以降は子供といえども、猛スピードでエゴを発達させます。

ドイツにテン二エスという社会学者がいます。自分を取り巻く共同体で、人間は利害関係で結ばれている社会(ゲゼルシャフト)に生きています。そこは資本と労働、雇用、金融、為替、株式、動産、不動産などで縛られている社会です。いっぽう、利害関係のない社会(ゲマインシャフト)にも生きています。地縁、血縁、民族、師弟関係、宗教、芸術文化など中心に生きる関係だとしています。

こうしたテン二エスの考え方は、私の考え方、人間が見えるもので結ばれている社会(タンジブル)と、見えないもので結ばれている(インタンジブル)な社会の両方で生きていることを説いているのと、共通するものがあると思います。

私たちはサルタンバンク(軽業師)のように生きています。なぜなら、立場の違う人同士、夫婦、親子、兄弟、友だち、上下関係、先輩後輩、先生と生徒、取引先、顧客、恋人、同僚、隣人、趣味仲間、嫁と姑、知人などざっと見渡してもこんなにも多くの縁に結ばれ、しかも同時進行でその関係を生きているわけですから、だいした道化の技(わざ)の持ち主です。

互いが築いてきた関係にかけた時間がロスにならぬよう、社会の中で幸せと安心、信頼がさらに深まるように生きるには普段から心がけるべきことは何でしょうか。言葉にすれば良く理解できるのに、日々、実行に移すのは容易ではありませんがご安心ください。時々はっと気づき、立ち止まるだけで、かなりの成果を上げるからです。賢い人は立ち止まることを知っています。

1 自分にないものを相手の中に見つけても嫉妬しない。(美醜、お金、身分、その他)

2 相手が自分の手本であると思わない。あなたが自分自身の手本である

3 どの人も異なる環境、違う資質をもって生まれているので「異なる」を認める

4 相手を支配しようとしない

5 いくら親しくてもほどよい距離感を持つ

6 親しい関係であってもマナー、言葉、態度に気を付ける

7 いい時ばかりが関係を結ぶ期間ではない=相手がピンチのときに何ができるか

8 頼りすぎず、頼られすぎず、バランスを保つ

9 心の状態、経済面を開示した付き合いは無理をしないで互いに自然体でいられる

10 相手との間で波長がズレてきたと思ったら、場合によっては関係を断つ

11 相手にも自分にも正直でいる

12 気づかいし過ぎ、過剰な愛情や期待は相手も自分も疲れる

こんなことを考えながら、あなたとハズバンド(7)、あなたとお姑さん(12)、親しいお友だち(6)、子供(4)、上司(3)、仕事仲間(8)などと思い浮かべてみて下さい。なるほどと思うことばかりでしょう?どんな関係も突っ走らないでください。 はっと、立ち止まるだけで良い効果が出るのが信頼というインタンジブルの力なのです。
立ち止まる

「社会人として」「家族の一員として」「人間として」「経営者として」「仲間として」・・・

あなたは信頼されていますか?

あなたがなぜ信頼されていないのかを知っていますか?


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信頼はあなたから発して、あなたに帰る

信用と違って信頼関係は人間の情動、感情や、欲望によって結ばれ、いつまでという期限が設定されるわけでなく、契約が交わされるわけでなく、約束も成り立たず、条件も存在しないという、インタンジブルな関係です。信用はタンジブルですから、真逆です。関係がこじれるか、相手が存在しなくなるまで続きますが、関係が続いているときはまるで永遠だと錯覚している人が案外多いのです。そこに問題がひそんでいます。

親子、兄弟、姉妹、友人、上司と部下、同僚、医師と患者、先生と生徒など、身近な関係ほど深く、濃く結ばれます。関係が築かれ続行している間は、幸せ、安心、満足、夢など、ポジティブな気持ちに満ち溢れています。読んで字のごとく、信じて、頼るのですから、それが不可能になったり、ひとたび崩れると心身ともに受けるダメージは相当なものです。他人なら割り切りや、忘れることもありますが、濃い関係は、そうはいきません。

しかも、自分が関係を壊すかもしれないし、相手が壊すかもしれません。一方だけが痛手を負う場合もあれば、双方が負うこともあります。

失望、絶交、別離、解消、破断、となり、人によっては再起不能に陥ります。オペラ「オセロ」のように殺人、自殺、何でも起こりえます。信用関係のように、第三者機関や、公的機関が介入できないので、もろ自分に跳ね返り、真っ黒こげになります。熱い関係なので理性も出番を失います。

甘え、嫉妬心、猜疑心、名誉欲、競争心、悪意、恨みからこじれた感情は修復するのに並たいていの努力ではすみません。まして、お金が絡む関係は厄介な問題を引き起こします。石川達三の「骨肉の倫理」の如くです。普段は、何事も起こらず、仲良くしていた理想的な家族でも「遺産相続」ともなれば「遺産争族」と変わります。

部外者が何かをしてあげられるわけでなく、理解や同情を得られたり、相談に乗ってもらえても、問題解決とはいきません。時がたつのを待つか、ずたずたに傷ついても修復するまで耐えるしかありません。特効薬は旅に出るとか、趣味に打ち込む、自然や動物に癒されるとか、一人で乗り越えるしかないのです。でも、この哀しく、苦しい山を乗り越えれば、あなたはとても強くなっています。私もそうです。そして人生や人間をより冷めた目で眺めることができ、自信も付き、賢くなって、人を選び、関係がもつれないよう距離を取るようになります。

私の主人の人生哲学(ユダヤ人でナチから逃げられた一人)は人と距離を置くという言葉を飛び越えて、「無関心でいる」という言葉が返ってきました。それは、人それぞれが自分を愛し生きているのだから「そっとしておく」という意味だそうです。クールですね。

信頼関係が長く良い状態をつづけるにはどんなことが考えられるのでしょう。
信頼の上に成り立つ人間関係
〇 どんな関係にもディスタンス(距離)を持っていること
〇 どんなに熱い関係でも理性を失わないように心がける
〇 人間の心は常に移ろい、心変わりすることを知っておく(あなたも、相手も)
〇 人間の気分や心は、お天気や他人の一言にも影響されるほど変わりやすい
〇 どんな関係もいずれは消滅する
〇 人間関係の達人などいない。みんな悩んでいる。貴方だけではない

母の手紙の中の言葉
「人の心の変化は四季の変化のように順序通りに巡らない。突然の変化があったり、背信がある。それに引きずられて怒ったり、嘆いたりしては、あなたの負け!」

信用はオフィシャルでクールな関係

英語では信用や信頼に関する単語が実に多くあります。クレジット、リライアンス、コンフィデンス、トラスト、その他をどのように使い分けできるのかを学ぶのに興味津々です。

「アメリカは多民族の集まりで、憲法や法律、お金の価値観など違う人同士が人間関係を築き、仕事をするわけですから、信じあうということは大変なことです。さらに、悪事をはたらいたり、自国で生きることが出来なかった人も多く上陸しましたから」
「なるほど、それで契約社会に発展していったわけですね」。英語の先生との会話です。

信用はたがいに立場が異なる関係の中で生まれる。相手のことを充分「知らない」という状況でリスクを見込んで関係をつくる。それを防御するために契約=紙で互いを縛ることが必要になります。信用に関しては大陸と島国の差、しかも、農耕民族の歴史と文化の中で生きてきた私たちとでは根本的に考え方に開きがあります。

「まあ、ええがな、そのへんにしとこ」というわけにはいきませんね。
時代の変遷とともに、私たちも社会人、組織の一員として存在する限り、世界共通のルールに従わなければなりません。そのためには、信用関係をオフィシャルにビジュアル化(見える形に)する以外、方法はありません。

信用は信頼と違うということを前回のブログで書きましたが、ひとことで言えば、信用は無機質的です。人間の感情や情動などは一切介入できません。気持ちがいいくらいクールな関係です。また、そういう関係でないと信用は成り立ちません。
仮にあなたが不動産契約をするとしましょう。
信用はオフィシャル
万が一、信用関係が遂行できなかったり、悪化した場合、その時もクールに、裁判所、公正取引委員会、警察、労働基準監督署など公的機関の力を借りることができ、法律、規則にのっとって処罰されることもあります。場合によっては弁護士の出番もあります。

「アメリカ人は契約が一度ゼロになっても再び関係を積み重ねることができるが、日本人は一度でも、どちらか一方が問題を起こしたり、リスクを負うと再構築はむずかしそうですね」というのが英語の先生の意見でした。日本人はフレキシブルな人種ではなく、律儀なのでしょうか。この精神は憲法改正の出来ないメンタリティに通ずるものがあります。

こんなにオフィシャルな信用関係を契約で結ぶというのに、私は印鑑について、いつも疑問を持っています。ひょいと、ひとっ走りすれば文房具屋で買える印鑑をあらゆる紙に押しまくっている日本人のおおらかさにびっくりします。登録印だって今の技術をもってすれば、複製できるのではないでしょうか。神経質で用心深い日本人であるのにハンコ文化には矛盾を感じます。保証人にハンコを付いてもらったがゆえに起こる悲劇も信用と信頼に対していかに無防備であるかを考えさせられる例だと思います。ハンコは花押(かおう)や、落款(らっかん)など美的な「しきたり」の名残でしょうか。

金融、銀行、保険、などはクレジットやトラストという英単語を使います。クレジットは過去に積み上げた責任が大きくものを言い、それがより有効に役立ちます。信用関係は蓄積された実績が土台となり、力を発揮します。これが信用のタンジブルなパワーなのです。一つの契約の完遂は他の契約とより信用関係が築きやすくなります。これは実績といえます。あなたや、あなたの会社はこれによって社会的にさらに存在感をまし、力を持つことになるでしょう。

さて、身の回りを見てもあなたは信じられない数の書類を持っているはずです。健康保険書、身分証明書、パスポート、運転免許証、印鑑証明証、住民票、戸籍謄本、卒業証明証、雇用契約書、結婚証明証、遺言書、不動産売買契約書、ローン契約、あらゆる契約書に押したハンコの回数やサインを覚えていますか?

それらの書類をちゃんと保管していますか?それも信用問題ですよ。少なくても現在進行形のものはファイルに収め、さっと取り出せるように常に「準備体制」が整っているように習慣化したいものです。

今日もおいしく夕食を頂きましたか?主食のご飯があるからこそ、納豆も、御味噌汁も、他の副菜も美味しいですね。「信用」は人生のご飯です。人生上のすべての出来事はほとんどが「信用」の上で成り立っているのです。

「信用と信頼」は似て非なるもの

あなたの横で、あるいは後ろに控えて姿の見えない影武者のように、あなたをがっちり支えてくれるインタンジブルパワー「信頼と信用」。ところが、これを間違って使えば、人生をバラ色にするはずが、世をはかなみ、生きづらくする両極端の結果をもたらす両刃の刃(やいば)です。

人間関係だけでなく、組織や企業、あるいは国家間の関係であっても、嘘をついたり、裏切ったり、だましたり、傷つけたりしないよう、私たちは一生「信用と信頼」のタイトロープの上で綱渡りをする運命です。地上に落下することなく、このパワーを上手に使いこなす方法を知っておくのは賢明です。

ところで、あなたは「信用」と「信頼」がまったく違う性質をもっていることを知っていましたか? 知らなかったとしても、あなたはそれを無意識に、上手に使い分けているのです。

この2つを分けるのは、非常に現実に沿った考え方です。「信用」は「金銭」や「雇用」「保険」その他、あらゆることにおいて契約書(紙)などが介在し、その契約通り双方が期限内で実行するオフィシャルなもの。よりクールで、タンジブルで、左脳的、誠意と責任をもって実行することで「信」が成り立ちます万一、「信」が実行されなければ、公的機関で責任を取らせることもできます。

いっぽう「信頼」は、情や愛、絆、仲間意識など、カタチの見えない思いが介在する人間の心と心の関係で、それが崩壊したり、離ればなれになるまで期限は設けられていません。よりホットな右脳的でインタンジブルな関係だと思ってください。「信頼」関係が崩壊した場合、自己処理になります。誰も何も助けることはできません。

「信用」は信じて、用いる。「信頼」は信じて頼る、読んで字のごとしです。
「信用金庫」とは言いますが「信頼金庫」とは言いませんね。いっぽう、人間関係においては、「「信用関係」より「信頼関係」と言ったほうがぴったりくるでしょう?

神との関係は、信用、信頼?

私は、ユダヤ人の夫と結婚したのでユダヤ教に改宗しようと思い、世界的に有名なラビ(宗教的指導者)のマービン・トケイヤー師に相談に行きました。

「あなたは改宗と簡単に言いますが、あなたが選んだ神と生涯契約するのですよ」と諭されました。私の改宗の動機は「夫がユダヤ教であるので」と、とても甘いものでした。
自分の意志で自分の信仰=神との契約を選び、生涯という契約期間が設定され、契約という神との間でかわす厳しい掟があり、まつりごとの歴史や意味を学習して、それを実行に移すこのように、西洋においては、神とのかかわりは「信用」の問題なのです。

これに対し、私たち日本人にとって宗教は生活のなかにとけこんだ、慣習的、文化的な存在になっています。
思い返せば、カトリックの学校で教育をうけ、神前結婚を執り行い、気が向いたときに般若心経を写経し、お寺でお葬式を行なうなど、勝手気ままに、その時の状況に合わせてよろずの神に頼っています。日本人にとって、神仏(かみほとけ)とは「信頼」の関係です。そこに契約などは存在しません。

ところで、私たちはどれほど多くの人々やコトやモノと信用や信頼関係で結ばれているのでしょう?親子、兄弟、夫婦、恋人、隣人、友人、仲間。職場では上司、同僚、取引先、株主、顧客、そして先生、医師、世話になるすべての人。結んでは消え、消えては結ぶことを繰り返しているのですから一生の間には膨大な数になります。

時代の変化、世の中のスピード化、快適化によって、「信用と信頼」もどんどん姿が変わります。たとえば、顔の見えないコミュニケーション、スマホや、パソコンなどは、面と向かって会話しているわけではありません。ビットコインなどネットで「売った、買った」とお金が動くのですから怖いような現実です。「信用と信頼」の問題もAIの時代になり、見えないものを信じるには、見えないゆえに覚悟がいります。時代の流れに乗るのは大仕事です。老齢化社会にはチャレンジそのものです。
ハチ公1
忠犬ハチ公のご主人への「信頼の情」に日本人が泣いたのは過去の話でしょうか。
時代が変わっても、渋谷の街がどんなに様変わりしても、ハチ公の銅像が取り壊されないように祈る気持ちです。

次回は「信頼」を集中的に説明したいと思います。

「信用と信頼」は機関車の燃料

「鍵は正直者のためだけにある。留守にするとき、ドアに鍵をかけるのは正直者が中に入らぬようにするためにある。悪人はかかっていようがいまいが、どっちみち入る。もしドアが開いていれば正直者でも誘惑に駆られて入ってしまうかもしれない。鍵をかけるのは正直者に悪いことをさせないためである」とは、ユダヤの聖典タルムードの一節です。

この警句は、人間にとって「信用と信頼」がどのようなものか深く考えさせます。どこか親鸞聖人の悪人正機説(しょうきせつ)の考え方に似ているように思えます。すべての人間を根源的に、おおきな枠の中で捉えています。善人も悪人も、正直者も、そうでない者も大差ないということでしょうか。

この「信用と信頼」問題を、さまざまな角度から眺めてみることにしましょう。

結婚の相手を選ぶのは相手のやさしさや、愛情の深さより「信頼、信用できる人であるかどうか」だと思います。毎日いっしょに生活するベースにこれがなかったら、愛さえ育ちません。前回の「責任」と並んで「信用と信頼」は人生を、仕事を支えるインタンジブルなパワーの中でもトップクラスに位置します。

たとえれば「責任」を屋根とすれば「信用と信頼」は柱のような関係です。この2つのあいだで社会や、仕事、家庭が成り立っています。重い屋根を、折れそうになっても辛うじて支えている柱、そのように想像してみて下さい。この2つのインタンジブルパワーは切っても切り離せない関係です。

「信用と信頼」は機関車の燃料のような役目を果たします。機関車は燃料を燃やし、貨車をひっぱります。貨車とは、経営者にとっては、会社であり、取引先であり、社員であったり、個人生活においては、家族、友だち、知人、近隣の人であったり。あなたが燃やす石炭=「信用と信頼」が、よい質であれば、貨車はあなたに牽引され、いっしょに走りますが、質が悪ければ、大量の煤(すす)を吐き、貨車は止まってしまいます。気が付けば、何も、誰も付いてこなかったという羽目になるでしょう。それが崩れた時は、元に戻るというわけにはいきません。孤独のどん底で再起不能となり、大切なものすべてを失うでしょう。

シェイクスピアの「オセロ」はこれを取り上げた不滅の文学です。オセロがいちばん信用していたキャシオに妻デズデモーナのハンカチを浮気の証拠にでっち上げられ、愛する妻を信用できずに殺します。キャシオの罠にはまったと気づいたオセロは妻の横で自害します。「信用と信頼」ほど、古今東西、文学の題材として取り上げられるインタンジブルパワーはありません。人間を牽引する最も強烈な機関車の燃料です。
機関車
「信用とは何か」「信頼とは何か」、私がいちばん大切にしている課題です。じつは「信用と信頼」というペアは、ほんとうは別々の燃料なのです。次回にその理由をくわしく説明したいと思います。このペアを使い分けることによって、明確な視野が広がっていくのを実感することでしょう。

手に入れたい良質の石炭、みずからが掘り当てて、せっせとくべながら、経営、人生というレールの上であなたが目指す「安住という名の駅」で無事下車するまで、燃やし続けて頂けたらと願っています。


プロフィール

山川 和子

Author:山川 和子
世界的ブランド「フェイラー」創業者 山川和子が起業家になりたいあなたへ「私の経験」から語れることをお伝えしましょう。

ビジネス成功へのキーワード「インタンジブル」(無形の力)を使って理論的、かつ実践的に学び、「成熟した人格」「感動的な人生を送るための手腕」「文化的な富裕」を同時に身に着けられることでしょう。

  <独ホーエンベルク>
YSH山川高齢者施設財団
「住みよい街」ホーエンベルク財団

日独で執筆&講演活動中 

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